円楽死去に想う

先日、五代目三遊亭円楽さんが亡くなりました。落語には特に明るく無いのですが、その生き様に考えさせられました。
引き際。
スポーツの世界では、体力的限界から来る引退は半ば常識であり、
ある程度早期から、引き際を考える事になる思います。
しかし、音楽など文化的芸術は、体力の影響は少なからず有るとは言え、
ともすれば、本人のやる気次第で死ぬまで現役でいられるような気がしてしまうように思います。
私も「情熱が無くなった時が引き際」と安易に考えていたふしが多分にありました。
しかし、人様に対して音楽(時間を占有する芸術)を発表する場合、お金を頂いている時はもとより頂いていない時も、その貴重な時間を頂いている以上、それに見合った、願わくばそれ以上の満足を提供出来ているのか常に意識しなければいけないと、切に再認識しました。
「味」などという便利な言葉で誤魔化していないか?円楽さんに叱られている気がしました。
「引き際」常に意識しなければ。